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中国の発明品

夏と言えば花火、ワクワクしますよね。毎年毎年、花火大会楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。そもそも花火の祖先は、「狼煙」として使われた黒色火薬で、中国の発明品と言われているのだそうです。

その後黒色火薬は、13世紀以降にヨーロッパに伝わります。そこで、音を大きくしたり、煙に色をつくようにしたものとなります。その後鑑賞用の花火としては、14世紀後半イタリアのフィレンツェで始まりました。火を吐く人形のようなものだったのですが、その後ヨーロッパ中に広がり世界中に伝わります。

ヨーロッパでの主な生産地はイタリアで、火薬と花火製造がさかんに行われました。この時代、ヨーロッパの花火は主に王侯貴族のもので、王の権力を誇示するため、王が催すイベントなどで揚げられていたのが始まりなのだそうです。

また、本では、1543年の鉄砲伝来から始まりました。その鉄砲の火薬からヒントを得たようです。戦国時代になると、今まで火薬として使われていましたが、娯楽用の「花火」として使われるようになります。徳川家康のもとにイギリス国王の使者が尋ね、そのとき花火を見せたという説もありますが、もっと以前に伊達政宗が見たという説も残っているようです。

その後、鍵屋・玉屋による両国川開きなどで有名な江戸のほか、三河・信州・越後などを中心に花火は大変盛んになっていきました。これら江戸時代の花火の色は、暗い炭火色1色のみの濃淡で表現されていました。その後明治8年頃マッチの原料として塩素酸カリウムが輸入され、それを研修して現在のカラフルで明るい色の日本の花火になっているのだそうです。

たまや〜!!

日本での花火大会といえば、「たまや〜」「かぎや〜」という掛け声が有名です。三重県のとある村の青年・弥兵衛が江戸に行き、日本橋に「鍵屋」をおこし、そこの花火は大評判となったのが始まりと言われています。幕府の花火禁止令も緩まってきたこの時代には、江戸のお店屋達は鍵屋にどんどん花火を打ち上げさせたのだそうです。

そして、鍵屋で腕の良い番頭だった清七は、鍵屋から暖簾をわけてもらい、吉川町に分家「玉屋」をおこし、玉屋市弥兵衛を名乗りました。そこから、「たまや〜」という掛け声も出てきたのではないでしょうか。以降、「鍵屋」「玉屋」時代を迎えますが、30年後玉屋は火災をおこし一代限りで断絶してしまうのだそうです。

花火大会で言われる「たまや」「かぎや」の掛け声は、当時川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当した二大花火師の競演を応援するためのものでした。その後も掛け声の代名詞として「たまや」「かぎや」の掛け声は残っています。

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